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蜻蛉日記

蜻蛉日記

 

NHKラジオ第2 「古典講読」にて

蜻蛉日記」が放送されていました。

島内景二先生のお話です。

 

蜻蛉日記は、作者が、夫、藤原兼家との

満たされない結婚生活を綴ったものと言われています。

ただ、日記中には兼家の歌もたくさんあり、

兼家のサポートがあって書かれたものではないか、

との意見もあるそうです。

 

藤原兼家には、作者との結婚の前に

時姫という女性がおり、

作者と結婚した後も、複数の女性があり

なかなか思うようにいかない結婚生活だったようです。

藤原兼家と時姫との息子が

かの有名な藤原道長です。

この父にしてこの息子ありというべきか

兼家も、豪胆な気質の人だったようです。

蜻蛉日記はその後、

姪が記した「更科日記」など

たくさんの文学作品に影響を与えています。

蜻蛉日記が兼家のサポートがあったのであれば

自分の女性関係や素行をグチグチ言っている文章を

よく世の中にだしたなあ、それも笑いとばすような

豪傑だったのかなあ、と思いました。

サポートがなかったのであれば、

兼家の歌を入れているのは、

やはり兼家への愛情があったからではないでしょうか。

 

作者は、自分の立場があまりにも儚く、それを

蜻蛉に重ねています。

死にたいとも結構言います。

けれど、言動はなかなか、負けん気が強いです。

 

 

作者は、本朝三大美女といわれるほどの美貌を持ち

歌の才能に恵まれて、

時の権力者の妻となっています。

蜻蛉どころか

大輪の花のような人に思えます。

どれほど多くの人が作者に憧れ

嫉妬したことでしょう。

感性の豊かであればこそ、嫉妬を敏感に感じ、

いえいえ、私は不幸なのです。。。

という心理が働いたのでしょうか。

 

作者の人間性を探るうえで、

「文学的才能がある」というところがポイントかな、と思います。

文才のある人は

物事を斜めにかまえる傾向があるし

厭世主義で、頭が良くて

やたら権力に盾をつきたがる人が多いと思います。

兼家という権力に対して

女同士の嫉妬も絡み、反発するところがあったのでしょうか。

 

蜻蛉日記の視点を変えれば

時姫も、町小路の女も、近江も、

兼家と関係のあった女性は

文章に残っていないだけで、

作者と同じように嫉妬に苦しんでいたと思います。

 

作者はプライドが高いと思われますが

お付きの者が話している観光地に行ってみたいとか

都では食べることのない、

地元民だけが食べるような

野草を食べて美味しいと言ったり

気さくなところもあります。

夫婦関係が二十年も続くのですから

兼家も、作者の美貌と才能だけに

魅かれたわけではないのかも。

 

島内景二先生の現代語訳も、

楽しくわかりやすいので、

大変楽しく拝聴していました。

 

現在は、「紫式部日記」です。

これも、藤原道長紫式部の交流にドキドキです。